イスラム教のスンニ派とシーア派の違いは、主に歴史的な背景、宗教的慣習、信仰の解釈に基づいています。
以下に主な違いを簡潔に説明します。
歴史的背景
スンニ派
ムハンマドの死後、彼の後継者(カリフ)はムスリムコミュニティの指導者として選ばれるべきだと考える。
スンニ派は、ムハンマドの後継者として適任者を選ぶことを支持し、
最初の4人のカリフ(正統カリフ)を合法的な指導者と見なす。
最初の4人のカリフ、しばしば「正統カリフ」と呼ばれる。
イスラム教の預言者ムハンマドの死後に指導者となった人物たちです。
彼らはスンニ派イスラム教徒によって特に尊敬されています。これらのカリフは以下の通りです。
1.アブー・バクル (在位: 632年 - 634年)
ムハンマドの親しい友人であり義父でもあるアブー・バクルは、最初のカリフとして選ばれました。
彼はイスラム共同体を統一し、多くの部族反乱(ラッダ戦争)を鎮圧しました。
2.ウマル・イブン・アル=ハッターブ (在位: 634年 - 644年)
アブー・バクルの後を継いだウマルは、イスラム帝国の大幅な領土拡大を実現しました。
彼の時代に、シリア、エジプト、ペルシャが征服されました。ウマルはまた、行政制度の整備にも貢献しました。
3.ウスマーン・イブン・アッファーン (在位: 644年 - 656年)
ウスマーンは、コーランの標準版を編纂したことで知られています。
彼の治世は、帝国のさらなる拡大を見ましたが、内部の不満も高まり、最終的に暗殺されました。
4.アリー・イブン・アビー・ターリブ (在位: 656年 - 661年)
ムハンマドの従甥であり娘婿でもあるアリーは、特にシーア派イスラム教徒にとって重要な人物です。
彼の治世は内部の対立により困難を極め、最終的には暗殺されました。
これらのカリフは、イスラム教の初期の拡大と統治の形成において重要な役割を果たしました。
彼らの治世は、イスラム共同体の政治的、宗教的な基盤を築く上で基礎となりました。
シーア派
ムハンマドの死後、彼の血縁者、特に従甥であるアリーが指導者となるべきだと主張。
シーア派は、ムハンマドの直系の子孫だけが真のイスラム教の指導者であると信じている。
宗教的慣習と儀式
スンニ派
より多様な解釈と法学派(マザハブ)を持ち、比較的柔軟な教義を持つことが多い。
シーア派
アリーと彼の子孫(イマーム)に特別な霊的権威を認め、彼らを無謬と見なす傾向がある。
また、ムハッラムの月には、特にアシューラーの日に、ハサンとフサインの殉教を悼む特別な儀式を行う。
ムハッラムの月とアシューラーの日とは?
ムハッラムの月は、イスラム暦の最初の月であり、特にシーア派イスラム教徒にとって重要な意味を持つ時期です。
この月は、多くのムスリムにとって新年の始まりを意味し、特にシーア派にとっては、ハサンとフサインの殉教を悼む時期として重要です。
ムハッラムの月に関する主なポイントは次の通りです。
イスラム暦の最初の月
ムハッラムはイスラム暦の最初の月であり、イスラム新年の始まりを示します。
アシューラー
ムハッラムの10日目は「アシューラー」と呼ばれ、特にシーア派にとって重要な日です。
この日は、680年にカルバラの戦いでフサイン・イブン・アリー(ムハンマドの孫)が殉教した日とされています。
フサインの殉教は、スンニ派とシーア派の分裂の象徴的な出来事と見なされており、シーア派の信者はこの日を悲しみ、追悼するために集まります。
追悼と悲しみの儀式
シーア派の多くの信者は、ムハッラムの月、特にアシューラーの日に、フサインの殉教を悼むために集会を開き、追悼の儀式を行います。
これには、物語の朗読、悲しみの詩の唱和、そして一部の地域では自己を打つ儀式などが含まれることがあります。
信仰の解釈
スンニ派
コーランとムハンマドの言行録(ハディース)を主要な指導原則とし、これらを解釈するための様々な法学派が存在する。
シーア派
コーランとハディースに加え、イマームの言葉と行動も重要な教義の源と見なす。
イマームは神の意志を理解し伝える特別な能力を持つとされる。
これらは基本的な違いですが、両派の間には多くの共通点もあります。
どちらの派もコーランを聖典とし、五行(信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼)を守るなど、基本的なイスラム教の教えを共有しています。
また、地域や文化によっても実践が異なることがあります。